まず始めに本大会にご尽力頂きました中日新聞社様、三重テレビ放送様、榊原温泉ゴルフ倶楽部様、谷汲カントリークラブ様、京和カントリー倶楽部様へ厚く御礼申し上げます。
私共、第三銀行は第2回の実業団対抗戦から参加させて頂き、三重県大会では第2回で3位、第3回では準優勝と上位入賞を果たせたものの、東海大会では11位、10位と東海の上位企業との実力差を大きく感じておりました。
東海大会でも上位入賞を目指すべく、社内予選、練習ラウンドを強化し挑んだ昨年第4回の大会では遂に三重県大会で優勝し、東海大会でも3位入賞を果たすことが出来ました。
しかし、その東海大会では出場選手4名が上出来のゴルフをできていたものの、上位2社との差は、準優勝のトヨタ自動車(株)さんと8打差、優勝の(株)豊田自動織機さんとは11打差と大きく離されており、更に上を目指すことは現実的に厳しいものだと思っておりました。
もし、東海大会で優勝、準優勝を狙うチャンスがあるとすれば、私達が何度も社内予選、練習ラウンドを繰り返している榊原温泉ゴルフ倶楽部で行われる第5回の実業団対抗戦しかないと、みんなで口を揃え、今年も恒例となった社内予選、練習ラウンドを繰り返し、6月20日に行われた三重県大会では準優勝する事ができ、上々の仕上がりで東海大会に臨めるものと考えておりました。
ところが、大会で約3週間前の8月15日に、私達ゴルフチームをリーダーとして支えてきた里村部長がなんの前ぶれもなく、大動脈乖離という心臓の病のため急死しました。
今まで、リーダーとしチーム編成を行い、自らも選手として、三重県大会優勝、東海大会3位に大きく貢献してきた方でありました。そして、なによりも私達の輪の中心となりチームをまとめあげ、里村部長がいたからこそ第三銀行のゴルフチームはみんなで楽しく笑い合ってやってくることができました。
大会を辞退することも考えましたが、本大会を一番楽しみにしていたのは里村部長であったので、メンバー全員が里村部長の意志を背負い出場することを決意し、Aチームは濵野、野村、川原田の3名で挑むことにしました。
単純に上位を目指すだけであれば、昨年の東海大会を70台で回り3位入賞に大きく貢献した信田か、名門「中日カントリー」のシングルプレーヤーである澤野をAチームメンバーにすることが妥当でありましたが、Aチーム4人目のメンバーは里村部長とし、里村部長にも大好きなゴルフをみんなと一緒に楽しんでもらいたいと思い、今まで4年間、里村部長がまとめあげてきたチームが一丸となって、9月6日の東海大会に挑みました。
大会では、Aチームの3名は本来の実力以上のスコアを出すことができており、濵野が78でホールアウトし、野村、川原田が残り1ホールを残すところで雷中断となりました。
その時点で野村3オーバー、川原田4オーバーであり、このままいけば上位入賞の可能性があると、50分間の中断時間の間、みんなで計算をしておりました。
再開後、野村、川原田ともラストのロングホールを無事にパーで上り、75・76・78と3名のスコアを70台にまとめることができ、私達がホールアウトした時点ではトップのスコアに立ちました。
しかし、他のチームは実力的に私達より上であるので、きっと何チームかは私達の上にくると思い、できれば去年を同じ3位か5位入賞でシードを確保したいと願っておりました。
それが思いのほか、上位チームの選手が雷中断でリズムを崩されたのか伸びてこず、結果として優勝を手にすることができました。
これは3人の実力だけではなく、きっと里村部長が力を貸してくれたものだと感じました。
思い返せば告別式のとき、お経が聞こえないほどの雷雨が通り過ぎたのですが、今回の雷も里村部長が現れた証なのではないか、と思ったりもします。
大会主催者の皆様、私達は3名の出場にも拘らず4着目のブレザーを里村部長へと譲って頂き、ありがとうございました。
個人戦入賞者 | ストローク | |
---|---|---|
優勝 | 福島 道章 選手(三京アムコ㈱) | 74 |
準優勝 | 柴谷 敏文 選手(飛行開発実験団) | 74 |
3位 | 川田 和彦 選手(トヨタ自動車㈱貞宝) | 74 |
念願が叶い大変嬉しく思います。強豪が揃った東海大会での個人優勝は格別です。
勝因は同伴競技者である、三甲㈱ 後藤会長、㈱東海理化 三浦様、矢橋林業㈱ 矢橋様と豪華な顔ぶれの中緊張しながらでのプレーでした。 皆さんとても紳士でよく声を掛けていただき、緊張も程よく解れて良いゴルフが出来た事です。
非常に良いコースコンディションの為、優勝スコアはイーブンから1アンダーではないかと言う話も出ました。しかし結局そこまでスコアは伸びませんでしたが、最後まで諦めず良いゴルフが出来た事、また、毎回個人優勝される㈱ジェイテクトの前田さんに1回だけでも勝てた事がとても嬉しかったです。
最後に良い環境を作って頂いた関係者の方々ありがとうございました。