「匠の心得」 〜 ゴルフに情熱を注ぐ、熱き男たちの物語
梶岡 靖之 選手(佐藤薬品工業株式会社)
小学3年生から父の勧めで野球を始め、甲子園を目指した高校時代、大学選手権を目指した大学時代と、野球一筋に歩み、就職も、国体(1回)、天皇賜杯(2回)の優勝を誇る軟式野球界の強豪、佐藤薬品工業㈱(創業:1947年4月、本社工場:奈良県橿原市、事業内容:医薬品、医薬部外品及び健康食品の製造販売)に入社しました。
そんな私がゴルフと知り合ったのは、シーズン終了後に行われる野球部の納会でのゴルフコンペでした。スイングスピードもボールの捌き方にも多少の自信はありましたが、はじめは左右にボールがかなり曲がりましたね。
止まっているボールを打つだけなのに、なんて難しいスポーツだと感じました。(初ラウンドは103でした。)
ゴルフをやって思ったのは、野球で言えばピッチャーに似ているなと。
ピッチャーは、大きい筋肉を付けるだけではダメなんですよ。体幹を鍛えることは無論ですが、しなやかで弾力のある筋力が必要で、ゴルフはそれに似ているなと思いました。
野球選手としての現役を引退してからは、ゴルフが上手くなりたいと思い、会社近くの練習場で機会があれば集中して練習し、月1回程度ラウンドをするようになりました。
その甲斐あって70台のスコアが出るようになりました。ただ、そのうちに仕事や家庭の事情などで年1、2回のラウンドが10年近く続き、また、年齢を重ねていくことも手伝って、ハードなセッティングではボールのミート率とスコアがだんだん悪くなってきました。
そんな中、7年前から社内サークルとしてゴルフ同好会を立ち上げ、月1回のペースで、川上知人プロから、スイング理論は元より、メンタルトレーニング的なレクチャーを受けるようになり、また、めきめきとゴルフが上達しているように思えます。
私の得意クラブは「ドライバー」です。さほど、距離が出るタイプではありませんが、ピンポイントでターゲットを狙う自信が少しはあります。現在は、ドライバーはカスタムシャフトではなく、メーカー純正のシャフトを使用していますが、メーカーがフィッティングしてきたシャフトであれば、身体や調子が悪い時でも、タイミングのズレの許容幅があり方向性への影響が小さいと考えたからです。
今年で46歳。いろいろ考える年なんです。
クラブは、昔からミズノを使っています。小ぶりな顔も良いし、打感もやわらかいし、何より打球音がとても良いので、ずっとMPシリーズを重用していますね。メーカー自体、職人気質なところも気に入っています。
私自身、これまで競技大会への出場経験はありませんでしたが、弊社社長(佐藤 進)から大会に出てみないかと勧めて頂き、指導頂いている川上知人プロからの推薦もあって、今大会に初出場することになりました。
結果は、団体戦が6位、個人戦が5位と、ちょっと出来過ぎの感はありますが、チームワークで西日本大会の出場権を獲得することができました。
野球もイチロー選手みたいに長く現役でいたいのですが、なかなかそうはいかないですし、40代後半に向け、自分の目標を探していたのも事実です。実業団対抗ゴルフ選手権大会の出場機会を得て、ぼやけていたピントがアジャストしたような感覚がありました。
スタートホールでティーオフのアナウンスが流れた時、現役時代に野球場でスターティングメンバーの場内アナウンスが流れた時を思い出し、アスリートとしての血が滾る感覚を明確に感じました。ただ正直、ティーアップする手が震えていて「なんやこの緊張感は!」と、久しぶりに変な汗が背中を流れましたが、1番ホールをバーディー発進することができ、何とか落ち着きを取り戻すことができました。
自然に順応出来るように、競技ゴルファーとして、これから色々な経験を積んでいきたいと思います。
今大会にご尽力頂きました榊原温泉ゴルフ倶楽部関係者の皆さまに心より感謝を申し上げますと共に、今大会出場にあたり、快く送り出して下さった佐藤社長をはじめ、長らくご指導を頂いている川上知人プロ、そして、ベクトルを同じくして闘ってくれた「チーム佐藤薬品」のメンバーに感謝致します。ありがとうございました。
なお、私の顔のあざについてですが、2、3歳の頃から徐々に目立つようになってきたらしく、両親は私を連れて病院を転々としたようですが治らなかったと聞いています。これは私の個性ですから、これからも、何ら負い目を感じることなく歩んでいきたいと考えています。いままで何不自由なく生み育ててくれた両親に心から感謝しています。
匠の心得 - 過去の掲載
- 2018年5月30日 UP
- 橋本 祐二 選手
(株式会社 橋本ターフ・コントロール)